言語研究のきっかけになった(かも知れない)経験

鷲尾龍一(学習院大学教授)

 私は言語の比較研究に携わっている。これまで日本語、韓国語、モンゴル語、英語、フランス語、オランダ語など、主にアジア諸語と西欧諸語との比較に基づき、諸言語が互いに類似し、相違する実際のありようを記述しつつ、その理由を類型論、系統論、普遍文法論などの観点から考察してきた。特にこのようなタイプの研究を志していたわけではないが、アジア諸語の研究や諸言語の比較研究に取り組むことは、自分にとってはまったく自然なことであった。いま改めてその理由を考えてみると、子供の頃の経験が少し関係しているような気がする。

 少年時代の私は何しろ落ち着きがなかった。教室でじっとしていられる時間は三十分が限度であったため、学業も人物評価も悲惨であり、厳格な裁判官であった祖父の跡を継ぐべくもなかったが、不思議なことに、たまに訪ねてくる母方の祖父の話は一日中でも聞いていられた。

 「お茶は中国でもチャと言うんだが、これは中国から来た言葉なんだ。英語のteaもチャと関係があるんだぞ」「へえ」

 という具合に、言葉をめぐる他愛のない話が、空っぽに近い私の脳に染み込んでいくような感覚があった。この祖父は、大学の蒙古語学科を出た後、終戦まで中国に滞在していた。唐詩などにも造詣が深く、晩年は仏教思想などを研究していたが、理科系に進んだ孫が多い中で、私がフランス語学科に進んだことをいたく喜び、言語を研究する前に見聞を広めてこいと、進学して間もない私に英国への遊学を勧めてくれた。当時すでに亡くなっていた祖母が私の教育費に使途を限定した口座を残しておいてくれたため、遊学費用はそれで賄われたらしい。後年この話を聞かされた折には、遊学期間をのほほんと過ごしてしまったことを深く後悔したものだが、いずれにしてもこの遊学を契機として、私は言語学という学問に足を踏み入れることになり、爾来、この分野で研究を続けている。

 研究の進展に伴い対象言語の数も増え、博士論文では相当数の言語に言及することになったが、その第四章は、奇しくも祖父が専攻したモンゴル語の分析であった。モンゴル語を研究対象とすることに何の違和感も覚えなかったのは、少年時代に聞かされた祖父の話が身体に染み込んでいたからかも知れない。

2007年7月13日 掲載