言語学への興味

松本曜(神戸大学教授)

 私が言語学を専攻するきっかけとなったのは,高校二年の英文法の授業であった。当時私は理系を志していたが,この授業を通して,英語も立派な規則からできていることを学んだ。また,この頃,様々な動詞の使い方に興味を持って,辞書の語法欄などを食い入るように読んだものであった。結局、高校時代に辞書を一冊使い古し、大学入試の面接の際には愛読書を問われて、『○×社の英和中辞典です』と答えた記憶がある。

 受験時代に読んだ本で印象深かったものに,二人の辞書編集者の伝記がある。一つは19世紀末から20世紀初頭にかけて,15,000 ページを越える大辞書Oxford English Dictionary を編集したJames Murray の伝記(Caught in the Web of Words) , もう一つは明治時代に『大言海』という辞書を編集した大槻文彦の伝記『言葉の海へ』であった。現在のようなコンピューターが無い時代に,しかも,自分が作 ろうとしている辞書よりも大きな辞書を作った人がいない時代に,資料集めから,執筆,編集までをすべて手作業で行っていったストーリーである。この二人の,一つ一つの単語を追っていく姿にロマンのようなものを感じて言語への興味を深くし、結局は文系へと転向した。

 そんな本を読むうちに、自分も何か調べてみようと思い、英語の否定接辞のun-とin-がどのように使い分けられているのかを調べてみることにした。そして、unhappy, impossibleなど、それぞれが付く形容詞を分かる限りすべてリストしてみた。一つ気がついたのは、-ableで終わる形容詞はun-が付くことが多いのに、-ibleで終わる形容詞はほとんど必ずin-が使われることだった。他の例を見ても、どうも単語の中にiの文字があると、in-に なることが多いような…。ところが何を見てもそんな規則は書いていない。ひょっとしてすごい発見をしたのかもしれないと思い、大学に入って最初に取った言 語学の授業の後、思い切って先生に聞いてみた。すると、「英語には昔から英語にある語彙と、ラテン語、フランス語から入ってきた語彙があって、un-は昔から英語にある形容詞に、in-はラテン語、フランス語から入ってきた形容詞に付く。派生語の場合は….、」といろいろ説明をしはじめた。「じゃあ、単語にiの 文字があるかどうかは関係ないんですか」と聞くと、「関係ありません」とのことだった。食い下がっていろいろ例を挙げて説明してみたが、「それはたまたま そうなだけで…」ということだった。がっかりだった。諦めきれずにその後いろいろ調べてみたが、やはり先生の言っていたことが正しいと分かってきた。….

 思い返してみると、これは自分が初めて行った言語の規則に関する仮説の検証だった。言語学を魅力の一つは、言語に潜む規則性や傾向を発見した時の喜びである。研究の対象は案外と身近なところにある。

2009年12月6日 掲載