泉子・K・メイナード(ラトガース大学教授)
言語学をやっているというと、「じゃ、何ヶ国語話せるんですか」と質問され、どう返事したものか困ることがある。この傾向は筆者が長年住んでいるアメリカ東部で多く見られ、linguistとはpolyglot(数カ国語ができる人)だと考えている知識人も多い。また大学教授だというと、専門は何かと聞かれ、Japanese linguisticsと答えると、日本人なんだから日本語は話せるし、当然の職種だと思われて “Sure enough!”(当然、やっぱり、がっかり)という答えが返ってくる。まあ、だいたいそこで話は途切れるのだが、これは大きな誤解である。
言語の学としての言語学は、言語そのものに対する探求であって、いろいろな言語を学ぶこととは違う。言語を学問の対象とするということは、言語の体系や機能、また言語と人間、言語と文化・社会とのつながりを探ることである。筆者が興味を持ってきたのは、談話という大きな単位の言語現象で、それを日本語の話し言葉や書き言葉をデータとして研究してきた。
研究はいつもちょっとしたおもしろい表現から始まる。例えば、最近こんな表現にでくわした。
彼は先ほどの、で、あんたはこんなとこで何してんの? 的表情を崩さず、「この国で、三十三で、結婚していないのはへんだ」 声を落として言う。
若者の間で「的」や「系」が多用されることが指摘されてきたが、これは、角田光代氏の『恋するように旅をして』(新潮文庫2005)に出てくる表現であり、特殊な現象として見過ごすわけにはいかない。下線部の表現のおもしろさは、会話のことばが「表情」を修飾していて、あたかも話しているような現場性を備えたドラマチックな表現となっていることである。会話ことばをそのまま文の中に混入することは、言語学では余り研究されてこなかったのだが、異なったジャンルを混ぜることによって、話している(とされる)人物の地位や人柄などが伝わってくるという効果がある。「で、あんたはこんなとこで何してんの? 的表情」であって、「それでどういう旅行目的でここにいらしたんですか、と言っているような表情」ではない。
この表現を出発点として、ジャンル間の混入操作、言語とアイデンティティーというもっと大きなテーマに研究を拡げていくことができる。ちょっとおもしろい表現に注目することで、言語について何らかの新しい発見ができれば、そしてその発見が新しい知として言語学全体に貢献できるようなものであれば、それが言語学上の正解!と言えるのである。
2006年12月15日 掲載