言い訳を追いかけて

杉戸清樹(国立国語研究所長)

 「メールで失礼します」という文言を添えた電子メールが、今もときどき届きます。電子メールが使われ始めたころは、この文言を今よりもっと頻繁に目にした気がします。

 年賀状を受け取る元旦、「ワープロでご免なさい」とか「印刷した賀状で失礼します」という言い訳(というか、断り書き)を書いたものが届くかどうかを楽しみにしていた時期がありました。15年ほど前に「手書きで失礼します」と書いた年賀状を受け取ったときには、一瞬目を疑いながらもホクホクした気持ちになったものです。そのころからでしょうか、この類の言い訳を添えた年賀状がだんだん減り始めたように感じています。

 唐突な話かも知れません。こうした言い訳や断り書きを、一つの研究テーマとして考え続けています。「メールで/ワープロで/印刷した賀状で」というのは、そのとき実現している言語行動を託す道具・媒体のことを明示的に取り上げ、当の道具・媒体を選択したことについて「失礼」とか「ご免」と謝っている表現です。

 一般化して言うと、言語行動にまつわるいろいろなものごとについて明示的に言及し、対人的な気配りを表現する言語表現に興味を持っているのです。言語行動について言及する言語行動ですから「メタ言語行動」と呼べる言語表現類型です。

 特にめずらしいものではありません。日常の話し言葉や書き言葉でしばしば観察できるものです。研究用の実例を集めるのにそれほど苦労はないという思いもあります。

 例えば、「こんな夜分に電話でお騒がせして……」については、「こんな夜分」と意識されるのは何時くらいからだろうと知りたくなります。「電話で」という部分には「電話でなければよかったのか」と突っ込みたくなります。

 あるいは、会議で「自分の所属する部のことなので遠慮すべきかもしれないが……」と言ったばかりの人が、しばらくして「他の部のことに口出しするようで恐縮だけれど……」と言いました。どういう発言なら遠慮せずにできるのだろうかと悩むことになります。

 こんなことを楽しく考えながら、この表現類型を追いかけています。そうすることを通じて、日本語社会の言語行動のあり方、とくに「我々はどんなことがらをどんなふうに気にして話したり書いたりしているのか」が見えてくると思うからです。

2006年9月8日 掲載