“物には名前があること”を知ってから

前田富祺(大阪大学名誉教授)

 私は小さいころから身のまわりの物を集めることが好きだった。建具屋へ行っては木っ端を集めて、仕事場の片隅で遊んでいた。河原へ行っては石を拾い、山へ行っては草や虫を集め、それらを玩具にして遊んでいた。

 小学校から中学校にかけて集める物の範囲はいっそう広まった。同級生の集めていた切手にも興味を持ったが、むしろ自転車に乗って遠くへ出かけてアイヌの矢尻や石器を集めることに熱中した。それとともに、学校の植物標本や鉱物標本を見て集めるだけではなく分類することが大事であることを知ったのである。しかし、学校の標本にはみな名前が付けられているが、自分の集めた物の名前を知ることはなかなか難しい。物と物とを比較し違っているところと似ているところとを見分け図鑑で調べる。こうして“分ける”ことは“分かる”ことであることを知り、“物には名前がある”ことを痛感したのである。

 “名前がある”ということは“名前を付けた人がいる”ということでもある。私の生まれ育った富良野は北海道の中央でアイヌ語の地名が多い。新聞などに載っている地名の語源説明をノートに記してみると、片仮名で表わされたものも漢字で書かれたものもあった。もちろん、漢字で書かれているものでもアイヌ語でないものもあった。また漢字で書かれたアイヌ語にはどうしてそのように読むのか分からないものもあった。次々といろいろな疑問が出てきたのである。

 高校に入って生物部に入り、植物採集に熱中し特に蘚苔類の分類を始めた。こうして、いろいろな分野において物を分類し名前を知る場合の方法について考えることが多くなったのである。このようないろいろなことへの関心は語史研究から語彙研究へと進む出発点となった。  こうしていろいろな語の語史研究から語彙の体系を考えながら語彙史として考えるに至ったのである。物の体系に対する意識は時代とともに変わってくる。新しい物が生まれ古い物が消えてゆく。しかし、語形には変わらない部分もある。最近はそのような歴史的・社会的背景をも考えながら衣食住の語彙史を考えたいと思っている。

2008年8月1日 掲載