意味の三角形-意味研究への誘い

辻幸夫(慶應義塾大学教授)

 私は「意味」の喪失・崩壊の現象や失語症候群などに神経心理学的な立場から興味があります。精密な言語理論と組み合わせることで新たな展望が開けるのではないかと期待しています。もっとも本欄の主旨とは異なりますので、この話は別の機会に譲り、少し言語の「意味」について紹介します。

 言語学では伝統的に「意味の三角形」という言い方をします。例えば、三角形の底辺の左側の頂点に「ヤマ」という言語記号を置き、底辺の右側の頂点には実際の指示対象となる山を置きます。そして残る頂点に山に関する概念を置きます。これで..言語記号=概念=指示対象..という三角形ができます。ただし言語記号の「ヤマ」と指示対象である山の間には必然的な繋がりはありませんので底辺は点線にします。このことは「ヤマ」がいろいろな山を指すことができる、他の言語にも山を指すことばがある、ということを考えれば理解できます。意味は言語記号と指示対象の間に概念が入って初めて完成すると想定するわけです。

 是非はともかく、この考え方はわかりやすく便利です。子どもの言語習得を例に考えてみましょう。子どもが「ボール」という言語記号(単語)を覚える際は、実際の指示対象(事物)であるボールと結びつけなければなりません。はじめの頃は、「ボール」は子どもが遊ぶ特定のボールだけを指したり、転がして遊べるものはみなボールと言ってしまうかもしれませんが、次第に間違いはなくなるでしょう。この習得プロセスはボールについての概念を持たないと成立しません。背後では、何がボールなのかを決定するカテゴリーの形成があり、「言語記号=概念=指示対象」の構築を支えています。

 もっとも、実際はもう少し複雑です。子どもが「ボール」という語を使えるようになるには、「ボール」の音声を、たとえば「ポール」という違う単語の音声とは区別できなければなりません。一方、子ども自身が「ボール」と発音するためには精密で適切な発語運動が必要です。これらを可能にするためには音声表象としての「ボール」が頭の中になければなりません。また赤や青のボールもあれば、大きいボールや小さいボールもありますから、みなボールだと認識できる視覚表象を持っているはずです。こうしたさまざまな感覚表象をひとくくりにしているのが言語記号であって、そこに意味があると考えられます。もちろん、目が不自由であれば耳が、耳が不自由であれば目が、ヘレンケラーのように目も耳も不自由であれば触覚が「意味の三角形」を作り上げる手助けをしてくれます。

 単語だけではありません。「太郎ちゃんが赤いボールをあっちに転がす」というように言語記号を並べて、系列的な表現方法も作れます。それぞれが「意味の三角形」を持つ単語から、さらに上の次元で重層的な「意味の三角形」を作り上げていて、それにもかかわらず「誰が何をどこにどうした」というような分析的な意味を持たせることができます。

 私たちは言語記号という便利なラベルを手に入れたおかげで、ボールのような具体物だけではなく、抽象的な事象や架空のものごとを表すことができます。そして社会で共有し、何よりも書きことばを発明しましたので、時空を超えて知識を共有することができるようになりました。言語を使った概念の世界は、大きな辞書を見れば一目瞭然ですが、巨大な知的構築物を作り上げてきました。そこにはさまざまな「意味の三角形」が詰まっています。意味の世界は人が作り上げた興味の尽きない宝庫なのです。

2010年7月9日 掲載