応用言語学と外国語教育・学習

白井恭弘(ピッツバーグ大学教授)

応用言語学の一分野として、第二言語習得 (Second Language Acquisition = SLA) というものがある。この分野は外国語学習という非常に身近な現象のメカニズムを科学的に明らかにするという目的で、1960年代ころから活発に研究を続けて来た比較的新しい分野であるが、いまだ一般的認知度は低い。このような状況を打開するために――と言っては大げさだが――第二言語習得の一般向け入門書を2冊出版した(『外国語学習に成功する人、しない人』岩波科学ライブラリー2004年、『外国語学習の科学』岩波新書2008年)。しかし、第二言語習得が外国語教育・学習に与えている影響はまださほど強いとは言えないであろう。先日、ある日本の方と話していたところ、第二言語習得は「第二言語」の研究だから、日本のような「外国語」環境では関係ない、と言われて、愕然とした。似たような話は日本滞在中、特に外国語教育に携わっている方から何度か聞いたので、おそらくこのような誤解はある程度ひろがっているのであろう。もちろん、第二言語習得研究では70年代から「外国語」習得もその守備範囲に入っており、たとえば習得順序はどちらの環境でも同じ、というような結果を出した研究はいくつもあるし、どこが同じでどこが違うかを調べた研究も多数ある。

第二言語習得研究の影響があまり強くない理由はいくつかあるだろうが、ひとつには、第二言語習得研究という研究分野に対して、実社会の側が過大な期待をしすぎている、ということがあげられるだろう。それは、わかりやすい結論だけを求めてしまう、ということである。つまり、面倒くさいことはいいから、どうやったら簡単に外国語が習得できるか、どうしたら効果的に教えられるか、簡単に教えてほしい、というものである。このあたりが、経済学とか、心理学に求めるものとはちょっと違うようである。

実は、第二言語習得研究の究極的目的は、心理学が心のはたらきを、経済学が経済のメカニズムを理解することにあるのと同様、第二言語習得という現象の解明なのであって、そこから、言語教育・学習に関するてっとりばやい結論を求めるのはある意味では筋違いである。たとえば今の不況からどうやって抜け出すかについて経済学者の間で意見が異なるのと同様、第二言語習得についても、現実的応用については意見がわかれる部分も多い。経済現象、心理現象にせよ、まだまだわかっていないことが多いし、現象というのは複数の要因の複雑な相互作用によって決まるわけで、予測できないことが多いのは当然だ。

ただし、それでも(ほとんど)すべての経済学者が合意に達していることもあるし、それは第二言語習得においても、同様である。そのような合意のある部分、もしくは意見の異なる部分を理解した上で、外国語学習・教育活動を行った方が、より効果的であろうことは言をまたない。もちろんそんなことは知らなくても成功する教師や学習者がいることは当然であるが、それは「偶然の産物」ともいえるもので、他の条件が同じならば、第二言語習得の知見にもとづいた教授法、学習法の方がすぐれているであろうことは容易に推測できる。

これまでの外国語教育・学習は、個別主義・経験主義、つまり、自分がこうやったらうまくいった(ような気がした)から、このようにやる、人にもそれをすすめる、という状況が大多数であろう。そこからさらに、どうやったら、実際に結果をだせるか、という観点で、第二言語習得の応用を考えていく必要がある。外国語教育を向上させるために、個々の教師がいかに「研究者的視点」をもって「科学的に」学習者に対峙していくかが、今後の課題であろう。また、学習者にとってもそのような観点は重要だ。

2010年6月11日 掲載