左は左、右は右?

内田聖二(奈良女子大学教授)

 たとえば、「左」の定義を国語辞典でみてみることにしましょう。

 (1) 南を向いた時、東にあたる方(『広辞苑』(第6版))

 この定義で「左」の語義を理解するためには、「南」がわからなければなりません。では、今度は「南」を同じく『広辞苑』で引いてみましょう。

 (2) 四方の一。日の出る方に向かって右の方向。

これでは「右」がわからなければ理解できたことになりません。次の「右」の定義も『広辞苑』からです。

 (3) 南を向いた時、西にあたる方

 今度は「西」の定義をみなければなりません。というように、堂々巡りになってしまいます。天下の『広辞苑』でもこのような定義の仕方にならざるをえないのは、その語を使う人がどこにいるかによって具体的な左か右の方向が変化するからなのです。

 変化しない、一定の方向を指す言い方もあります。たとえば、「人の心臓は左にある。」というのは一般的に真です。でも、これも目の前にいる相手から見ると、その人の心臓は「右」にあります。さらに、二人で一緒に展覧会の絵を見ているときは、左の胸にあるブローチは「左」にあります。このように、話し手と聞き手の相対的な位置関係によって左と右の解釈が異なってくることがあるのです。次の対話を考えてみましょう。

 (4) 「君のコップはどっち?」    「左のです」

 二人が同じ側に座っている場合と、面と向かって座っている場合とでは指しているコップが逆になる可能性があります。二人が同じ側に座っている場合は問題ありませんが、面と向かって座っている場合はどちらから見た「左」なのかあいまいです。はっきりさせるためには、「私から向かって」とか「あなたから向かって」のような表現を補う必要があります。英語では ‘on your left’ とか ‘as you face (it)’ などと言って明確にすることがあります。

 このようなややこしい「左と右」の現象に小さい頃戸惑ったという記憶はないでしょうか。小学生の頃、先生に「右向け右」と言われて、先生の右なのか、自分の右側なのか迷ったことはありませんか。また、下級生の前に出てラジオ体操のモデルをするとき、左からはじめるべきところを右から始めなければならないことに違和感を覚えたことはないでしょうか。

 同じような現象に人称代名詞にかかわるものがあります。日本語では、一人称代名詞に「私、僕、あたし、おれ」など、二人称代名詞に「あなた、お前、君、貴様」など様々ありますし、特に主語を明示する必要がない場合も多々ありますが、英語では事情が異なります。英語では一人称代名詞、二人称代名詞は必ずIとyouで表されます。誰が話し手でも主語は ‘I’、相手が赤ちゃんでも、先生でも、社長でも ‘you’ です。ところが言う人と聞き手が交代すると、‘I’と ‘you’ も交代しなければなりません。

 このあたりの日英語の違いがおもしろい対照として現れることがあります。日本語では幼児に向かって「ぼく、いくつ?」と問うのはごく普通に聞かれます。でも、よく考えてみますと、「ぼく」は一人称であり、相手に向かって「ぼく」と呼びかけるのはおかしいことです。また、「お父さん」は自分の「お母さん」でもないのに、自分の奥さんを「お母さん」と呼びます。姉妹がいれば、「姉」の方を家族の誰もが、「妹」でもないのに、「お姉ちゃん」と呼びます。この現象は、家族の中で一番下の子どもから見て一番理解しやすい言い方になっていると説明することができます。英語にも、お母さんが子どもに ‘Where are Mummy’s gloves?(お母さんの手袋はどこ?)’ と言うように、似た現象がありますが、一般に幼児との会話に出てくるだけで、日本語のように大人になっても使われることはまずありません。

 英語独特の現象もあります。さきほど、一人称代名詞は ‘I’、二人称代名詞は ‘you’ になると言いましたが、‘you’ で呼びかけられる幼児が自分のことを指すのが ‘you’ でお母さんが ‘I’ だと勘違いして、お母さんに「だっこしていって(You’ll carry me.)」と言うつもりで、‘I’ll carry you.’ という事例が報告されています。これは話し手と聞き手が入れ替わればIとyouが交代するという規則を習得していないからだと考えられます。

 日本語でも幼児の言語習得の過程で、一人称、二人称の交代にかかわるおもしろい事例があります。子どもがことばを覚える典型はお母さんのことばをそのまま繰り返すことです。たとえば、「ごはん、食べる?」に対して「うん、食べる」と同じ語を繰り返すのですが、「くれる」の場合はどうでしょうか。「お菓子くれる?」と言われると、幼児は「うん、くれる」と答える傾向があります。正しくは「あげる」ないしは「やる」と言わなければならないのですが、幼児はこの変換の規則をまだ習得していないのです。

 皆さんも、振り返ってみれば、このような身近にある現象とことばの関係を納得して自由に使えるようになるまでには時間がかかったのではないかと思います。ことばには、このように、いつ、どこで、誰に言うのかで使い方が異なるものがあるのですが、不思議なことに私たちは「いつの間にか」複雑なメカニズムを身につけているのです。

2009年3月27日 掲載