小さな発見から大きな一般理論へ

影山太郎(関西学院大学教授)

 大学2年生のころ、スウィフトの『ガリバー旅行記』を英語の原著で読んでいると、その本では単語の中のエス(s)の文字が総て発音記号のように長いSで書かれていたので驚きました。わずか二、三百年前の英語でそんな面白いことがあるのなら、一番古い時代にまでさかのぼると、どうなるだろう?

 ということで、卒業論文では1000年以上前の古英語をやりました。古英語は語順が自由だったりして、なんだか日本語と似ているので、大学院では古英語から日本語と現代英語に興味が広がりました。

 専門家になってからも、日常のちょっとした発見を手がかりに、人間の言語全般に及ぶ一般的な性質を明らかにすることを心がけてきました。たとえば日本語は語順が自由だと言われますが、矢印の右側のように「複合語」に変えてみると、それほど語順は自由でないことが分かります。

  1.「親が子供を育てる」→ ○「親の子育て
  2.「子供を親が育てる」→ ×「子供の親育て

図

 2の「子供の親育て」は変です。強いて解釈すると「子供が親を育てる」という意味になってしまいます。「XのY育て」というと、必ず「XがYを育てる」(その逆ではない)という意味になります。しかも、これは日本語だけでなく、英語その他の外国語にも共通する普遍的な性質なのです。複合語など単語の作り方を調べることを形態論と言います。  もう1つ別の例として、「子供がノートを破った」(他動詞)と「ノートが破れた」(自動詞)を比べてみましょう。これだけなら簡単ですが、「ノート」の代わりに「校則」とすると、不思議なことが起こります。

  3. きのう、生徒が校則を破った。 The boy broke the rule yesterday.
  4. ×きのう、校則が破れた。  ×The rule broke yesterday.

図

 4は変です(正しくは「破られた」)。なぜ、「破る」ならノートでも校則でも良いのに、「破れる」となると校則はダメになるのでしょうか? この制限は英語のbreakという動詞にも当てはまります。このような意味の性質を調べるのが意味論です。

2006年12月29日 掲載