小泉 保(日本言語学会顧問)
わたしは「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」と俗謡で歌われていた大井川のほとりで生れました。たが、住んでいた島田市には、旧制中学校がなかったので、隣の藤枝市の中学校へ5年間通いました。
島田市と藤枝市は汽車で20分ほどの距離で結ばれていましたが、「ことば」が大きく異なっているのに当惑しました。
例えば、島田では「アカイ、シロイ、サムイ」という表現が、藤枝では「アキャー、シレー、サミー」と発音されていました。さらに次のような否定には困りました。島田での「シラン」が藤枝では「シラニャー」になるのです。また、その否定の過去形「知らなかった」ですが、島田での「シランッケ」は藤枝では「シラニャーッケ」と言います。ですから、昼間は学校で「シラニャーッケ」と言い、夜は自宅で「シランッケ」と言い換えていました。なぜそうなるのか全く分かりませんでした。
とにかく、東京の大学を卒業して、新制の静岡高等学校に勤めるようなりましたが、静岡では付近の農村から作物を売りにきたおばあさん連中が「このアカキャーいちご」とか「きょうはサミーねー」のように藤枝とまったく同じ方言を使っているので驚きました。
わたしは大学で言語学科に進学して、音声学を学び、方言調査にも従事しましたから、否定の表現の「シラン」と「シラニャー」の相違が島田市と藤枝市の境目にある六合という地域にあることが分かってきました。方言の区別はだんだんと変わるものではなく、ある地点で急に変化するものです。このように語形が急変するところを「等語線」と呼んでいます。これは地図の「等高線」とう用語から作られたものです
例えば、東京アクセントと京阪アクセントとの区別は愛知県の揖斐川に沿って等語線が走っています。
実は「シラニャー」という否定形は、東へ向かって藤枝から静岡、沼津、小田原を経て東京に達します。東京では「シラネー」になります。ここから北上して東北方言に入ると「シラネ」となるが、「ネ」の母音は口の開きが広くなります。
ところが、「シラン」の方は、西へ向かうと、関西を通り、中国地方を進んで、沖縄まで及んでいます。そうなると、動詞の否定形は島田市と藤枝市の間で東西の等語線が引かれることになります。まさに日本列島の真ん中を走っていると言えます。実はこの等語線はフォッサマグナに沿って北進し、日本海では、糸井川付近に達しています。
いま、もう少し詳しく、県単位で動詞の否定形を調べてみましょう。なお、否定の非過去形の次に過去形を括弧に入れて示しておきます。
(富山県)シラン(シラナンダ) (新潟県)シラン(シランカッタ)
(岐阜県)シラン(シラナンダ) (長野県)シラネー(シラナカッタ)
(愛知県)シラン(シラナンダ) (山梨県)シラネー(シラネーッケ)
シラン(シランッケ) (静岡県)シラニャー(シラニャーッケ)
だが、どうして否定形の等語線が日本列島の中央部を走っているのか、その理由はまだわかりません。
みなさんは、方言と言えば、東北の「メンコイ」(かわいい)、静岡の「ミルイ」(やわらかい)や関西の「ハンナリ」のような各地域独特の表現をその代表と考えているかもしれませんが、これは「俚言」と言ってあまり意味はありません。先に述べたように、否定とか過去とか言う文法の相違を表わす要素こそもっとも重要な方言的特色です。
2009年4月24日 掲載