古くからの疑問は新たな挑戦

中島平三(学習院大学教授)

 高校生や大学生の方は、一度は海外の大学へ留学をしたいと考えたことがあるのではないでしょうか。留学先を選ぶ時、まず言語学を学びたいとすれば「言語学科のあるアメリカの大学」というふうに志願校を考えるでしょう。良い授業を受けたいので「言語学の分野でビッグ10に入るような大学」という条件を付け加えるとすると、一気に十指に収まる大学に絞られます。折角留学するのだから「アイビーリーグに属する大学」という条件を追加すると、きっと五指にゆうに収まるようになるでしょう。さらに「言語学科内に脳科学の講座がある大学」というような条件を付け加えると、1つか2つの大学に絞られるか、あるいは現状では存在しないかもしれません。条件が加わるたびに留学先が具体的になってきます。

 前世紀後半以降のことばの研究(言語研究)は、このような留学先を絞り込む過程とよく似た推移を経てきており、ことばの理論(言語理論)として「最適な」理論を絞り込もうとしています。

 言語研究ですから、どのような立場を採るにせよ、ある言語のある現象を取り上げて、それに関する決まりや規則性をなるべく正確に記述することを目指します。このような目標であれば、正確さの程度に差こそあれ、どのような立場でも達成することができます。

 そこで、1960年代に市民権を得た「新言語学」と呼ばれる流れは、それまで考えつかなかったような「どのような条件を満たせば言語理論として適切であるか」という基準を考え出しました。その条件は、専門家だけではなく、一般の人々が誰もが抱いているような古くからの疑問に答えを提供できるという要件です。第1の疑問として「人間は何故ことばを話すことができるのか」という根源的な問いを投げかけました。

 次に付け加えた条件は、「何故人間ならば誰もがことばを習得できるのか」という、やはり根源的な古くからの疑問に答えが提供できるというものです。  比較的最近付け加えられた条件は、「ヒトは何故ことばを話せるようになったのか」という、ことばの発生・進化に関する疑問に答えを提供できることです。この疑問も古くから興味をそそられてきた問題ですが、19世紀頃、余りにも空理空論、奇想天外な説が噴出したので、まともな言語研究としては封印されてしまったテーマです。言語研究が十分に発達していないと、答えの糸口が見出せないような難易度の高い条件です。

 これらの疑問はいずれもことばの現実に関するものですから、そうした疑問に答を提供できるような理論は、ことばの使用・獲得・発生を可能にしている人間の能力(言語能力)に関する「最適な」理論、すなわち言語能力の実態に肉迫している理論といえます。

 言語研究に限らず、学術研究全般にとって重要なのは、従来の手法を単に精緻化するだけではなく、古くからの根源的な疑問に答えを見出し、従来気付かれていないような新しい知的探求テーマを見つけ出し、その追究を可能にするような方法や仮説を考え出そうとすることであろうと思います。

2006年6月9日 掲載