人間の研究としての言語学

米山三明(成蹊大学教授)

 私が英語に興味を持ったのは中学3年生の頃でした。その当時の私は、英語を日本語に訳す際に感じる「謎解き」のような感覚を楽しんでいました。きっと皆さんも同じような経験がおありのことと思います。この「謎解き」の感覚を現在も持つことはありますが、中学生の頃とはだいぶ違ったものになっています。

 本格的に言語学を研究するようになったのは、大学院生の頃からですが、「人間の研究としての言語学」を自分の中で強く意識するようになったのは、ジャッケンドフ(Ray Jackendoff)との出会いがきっかけでした。1984年から86年までの二年間、アメリカ東部のブランダイス大学で意味論を勉強する機会がありました。そこでジャッケンドフから学んだものは、言語学は人間の研究であるということです。彼の中には、言語学は言語の構造を研究することはもちろんのこと、人間の研究に貢献するものであるという強い信念があったのです。二年間の勉強を通して、言語を研究する際には、小さなことにとらわれることなく、車の運転と同じように、視野を広げて遠くを見ることが大切であることを学びました。

 ジャッケンドフは当時すでに統語論・意味論の分野で世界的に著名な研究者でしたが、1983年に出した Semantics and Cognition を境に、人間の認知的な側面を基盤とした研究に少しずつ方向を転換しているところでした。Semantics and Cognition の中で彼は、従来のような意味論では人間の心の働きとしての言語の本質を理解することはできないとし、視覚、聴覚など人間の他の感覚領域からの情報も取り込めるような言語理論のモデルを提唱しました。これが一般に概念意味論と呼ばれているものです。たとえば、私たちは目で見たものを言葉で表わすことができますが、これは、言語と視覚の間に何らかのつながりがあることを示しているわけです。今から思うと、私にとっては一番よい時にジャッケンドフに出会うことができたような気がします。

 私たちが毎日使っているような「言語」は、人間だけが持っているものですから、この言語を理解することは、人間の謎を解くことにつながるはずです。このかけがいのない言語を、皆さんもさらに深く勉強してみませんか。

2007年4月20日 掲載