本多啓(神戸市外国語大学教授)
今年行われた大学入試センター試験の英語で、たいへん興味深い問題がありました。交差点でスポーツカーとバンが危うく衝突しそうになったという事件を、異なる立ち位置から見ていた二人の目撃者が報告した目撃証言を読んで、設問に答える、そういう問題です。(平成22年度英語筆記、第5問です。)
よく見ると、二人の証言はずいぶん違っています。目撃者Aさんの証言にはトラックとスポーツカーが初めに出てきますが、バンはなかなか出てきません。Bさんの証言には最初にバンが出てきて途中からスポーツカーが出てきますが、トラックは結局最後まで出てきません。
Aさんの位置からは最初トラックとスポーツカーが見えています。2台は途中まで並んで進んでいます。Aさんから見える、2台の前方の信号は赤ですが、スポーツカーはそれを無視して交差点に入っていきます。そこに向こうからバンが走ってくるのです。事件の原因はスポーツカーだ、Aさんは当然そう思います。
他方、Bさんには、最初はバンしか見えていません。バンの前方の信号が青から黄色に変わります。するとバンはスピードを上げて交差点に入り、そこでスポーツカーと衝突しそうになるわけです。悪いのは信号が変わって危険なのに減速もしなかったバンだと、Bさんは思います。ちなみにBさんにはトラックは見えていません。Bさんの証言にトラックが出てこないのはそのためです。
問題に与えられた地図には、二人の立ち位置が書き込まれています。また、二人はそれぞれ自分の位置を言葉で説明もしています。しかしそのような情報がなくても、二人の証言を注意深く読めば、それぞれどこにいたかが大体分かります。
人は基本的に、自分の観点から見えたものしか語ることはできません。トラックがいたことを知らないBさんが、トラックについて語ることはありません。逆に、トラックの話をしているAさんの言葉から、Aさんのいた位置が大体は分かるのです。他方、バンの近くを歩いていたBさんは、バンの様子をくわしく言うことができたのです。
同じ一つの出来事でも、違う観点から見たら、違って見えます。それを言語で表現すれば、当然違った表現になります。読んだり聞いたりする人が受ける印象も、違ったものになります。これは、この事件のような客観的な事実の報告でも同じです。
逆に、言葉を見れば、それを発した人がその出来事をどのような観点から見て、どのようにとらえたのかが分かるのです。心理学者の浜田寿美男氏の表現を借りれば、言葉には視点がはりついているのです。
これは、目撃証言のような長い文章だけのことではありません。
(1) a. 男は部屋のドアを開けて、中に消えた。
b.ドアが開いて、男が入ってきた。
これらの文には、話し手を表す「私」は出てきていません。でも、二つが同じ出来事を述べた文だとするならば、話し手がどこから出来事を見ているか、だいたい分かります。すくなくとも部屋の中にいるか外にいるかは確実に特定できます。
もっと短い、単語でもそうです。同じ「海と陸の境」を表す語でも、coastとshoreでは違いがあります。Coastは内陸から見た語、shoreは海上から見た語です。
同じものを指していても観点が違えば違う言葉になります。逆に、言葉を見れば、人の観点や、とらえ方が分かります。言葉を考えることは人間のものの見方の特性を考えることにつながるのです。
2010年8月20日 掲載