半沢幹一(共立女子大教授)
最近は、お笑いブームであり、ことば遊びブームである。若者ことばというのもことば遊び感覚であるし、子供は怪傑ゾロリのだじゃれ、大人はおやじギャグという具合に、老若関係なくことばで遊んでいる(ただし、それがなぜか男性に多いというのは、すぐれて社会言語学的なテーマになりそうな気もする)。世の中なお不景気な中、ことば遊びは金がかからないからかもしれないし、あるいはやたら人間関係がギクシャクするようになったせいかもしれない。なんであれ、真面目一方に英語力だ、いや美しい日本語だなどと叫んでいるよりはよほど健全だろう。
こんな状況に迎合したわけでは決してないが?、私の勤める女子大で「ことば遊び」という講座を企画した。2年間限定で講義一つに演習三つから構成され、そのテーマで卒業論文を書いてもよいという設定である。ことば遊びそのものを大学の授業でまともに取り上げているところは、少なくとも日本では他にないのではないか、と企画者としてはいささか自負するところがある(もしどこかにあったら、教えてください)。
講義ではオムニバス形式により、童謡・童話、演劇、和歌・俳句、そして美術というさまざまなジャンルのことば遊びが取り上げられている。私自身は演習を二つ担当し、一つはことば遊びの実際の創作を、もう一つでは見聞きしたことば遊びの収集を、学生たちにさせている。
演習の創作のほうは、日本語に関して、音であれ文字であれ、単語であれ文であれ、およそ考えられる限りのことば遊びに取り組ませている。たとえば、尻取り、数え歌、アクロステイック、アナグラム、押韻、新いろは歌、漢字の字割り俳句、漢字回文、和歌の英語音訳などなど、我ながら趣旨がよく分からないものまである。
たまに学生たちから、これがいったい何の役に立つのかという質問や自分でも作ってみろという反抗があるが、一切無視。そのうえで出来た作品に対して、もっともらしい批評を加えつつ、実はおおいに楽しんでいる。
そもそも、ことば遊びとは何かを突き詰めていけば、ことばとは何か、コミュニケーションとは何かという本質的な問題になる。ソシュールも最後はアナグラムに走ったではないか(関係ないか)。ことば遊びという切り口から、日本語をぐるりとひっくり返して見ることができないだろうか・・・そんなことを、作業中の学生たちの苦悶と諦めの表情を眺めながらぼんやり考えることがある。
2006年10月20日 掲載