安井 泉(筑波大学教授)
英国の朝食は豪華である。ホテルに泊まり、イングリッシュ・ブレックファーストが出ると聞けば期待して食堂に向かってよい。たっぷりの紅茶にトースト、加えて、ベイクト・ビーンズをはじめ、ブラウンマッシュルーム、ベーコン、卵、トマトなどがつく。クックト・ブレックファーストという別名に恥じることなく、出てくるものにはことごとく火が通されている。英語のcook(料理する)が成り立つためには火が不可欠である。cookは「火を使って調理・料理する」意味である。
日本の英国大使館で駐日大使を長いこと勤めたコールタッツィ(Sir Hugh Cortazzi 1924~ )の『サセックスの庭で考えたこと』(Thoughts from a Sussex Garden)の中に和食についての一節がある。are not cookedまで読み進むだけで「好物は『てんぷら』や『すきやき』ではない」と予測できる。これは続く文で裏付けられてゆく。
My favourite dishes in Japan are not cooked and depend above all on the quality of the food. Sashimi must be absolutely fresh and the fish must not be coarse.
(私の日本でのお気に入りの料理は、火を使って調理したものではなく生の料理である。うまさは素材の質の善し悪しにかかっている。サシミなどは、なによりもまず新鮮でなくてはならないし、さしみにする魚も大味であってはならない。)
和食の食卓に並ぶ、寿司、刺身、サラダ、酢の物、冷や奴、納豆、漬け物、大根おろし、とろろ、生卵、蒲鉾、のりなどはcookの対象にはならない。英語では「サンドイッチを作る」など、makeやprepareを用い、cookは用いない。
フランス料理がソースで食べさせるものであるなら、和食は素材の味で食べさせるもの。日本の料理では素材の味や新鮮さをなぜ重視するようになったのだろう。農業の国であり、海に囲まれているという地理的な恵みも関係がありそうだが、ことの発端は江戸にさかのぼることができそうである。杉浦日向子は、「江戸の味」について、「江戸では手間をかけたものは野暮。よい素材をそのまま食べるのが贅沢。そのものの「味」を楽しむ。この粋がりこそ庶民の誇り」と述べている(『江戸へようこそ』1989 ちくま文庫)。江戸の「粋」の文化が調理法に反映され、日英の単語の違いを際立たせている。
2007年12月7日 掲載