おいしいお酒を求めて

門田修平(関西学院大学教授)

 第二言語を取得するための頭の中(こころ)のしくみを研究しています。これまでは、「外国語教育」、「英語教育」と言われてきた領域です。どちらかといえば、学問的というよりは、教育実践とみなされてきた分野です。

 何故、「言語学」、「音声学」や「英語学」などのように、科学にならなかったのでしょうか。それは対象が、「言語」だけではなく、それを学習する「人間(の頭脳)」という主に2つの領域があり、またこれに従来からの教育学や社会学などの変数も合わさったあまりにも総合的、学際的な領域であったことが原因です。この辺の事情は、門田・野呂(2001)の冒頭にも書いています。もし興味のある方はご参照ください。

 しかしながら、近年の第二言語習得研究は、今述べましたような「学際的な観点からの理論づけ」と実験心理学的な「実証性」を装備して、その精緻化がかなりの程度進んでいます。教場では教師自身のアートによる部分はむろん大きいですが、その中で科学の対象とされ大幅に研究が進んでいる部分もあります。筆者などはこれまでどちらかというと将来の教育現場への貢献に備えて、安易な応用を戒め、そのぶん可能な限り精緻な研究をすることを目指してきました。ただ、ここ数年来、実際の英語の教育・学習に応用できる具体的な成果の刊行も意識しています。英語やそれ以外の外国語の学習・教育の改善を望む声が多く、もはや純粋な学問研究のみに浸ってばかりはいられないという思いが出てきたのも事実です。

 一方、このように研究方法の厳密化、精緻化をはかりつつも、実際の研究生活においては、ダイナミズムを標榜しています。「先生は酒を飲んで唄を歌って、それでよく勉強する時間がありますね」というお褒めのことば(実は皮肉)をいただきます。でもこれはバロメータだと、あえて口に出しては言いませんが、そう心の中で思っています。研究は、遠くて長い道のりです。最初から最終ゴールを描いて、それに邁進できるほど、短距離レースではありません。陸上競技でいえばマラソンです。日々の生活の中で、充実感を得ること、これにまさるものはありません。集中力を得るためには、弛緩させることが必要です。高揚した精神を、まったく別の事柄にのめり込むことで鎮めてやる必要があります。自分の場合、お酒を飲むことで新たなコミュニティに入り込んでいきます。新たな世界がそこに広がってきます。これがまさに研究に高揚した自身を鎮めて元に戻してくれるのではないかと考えています。むろん人によって千差万別かと思いますが、筆者の場合は「おいしい酒」が飲めること、つまりそのために充実した研究生活を送ること、これに尽きるのではないかと考えています。  日々一献、いや日々精進。

2007年3月23日 掲載