安井稔(東北大学名誉教授)
1.「ことだま」とは何か
「ことだま」は、やや古めかしいところのある語ではあるが、まだ死語ではない。折にふれ、いまでも耳にする。「ことだまのさきわう国」という連語表現で用いられることが多い。
これは、万葉のいにしえにまでさかのぼる表現である。以来ずっと生き長らえてきたことになる。「ことだま」を漢字で書けば、「言霊」である。ことばの中に宿っていると考えられる「精神」、「魂」、「霊力」ということである。
手元の国語辞書によると、「ことだま」は、ことばにあると信じられた「呪力」である。「呪力」というからには、「プラスの力をもっているもの」と、「マイナスの力をもっているもの」とが当然あると考えられるが、「ことだまのさきわう国」というような場合、プラスの面だけが強調されることになっても不思議はない。「ことだまのさきわう国」は、「ことばに宿ると信じられていた霊力が豊かに栄える国」であり、それは、「ことばに宿る霊力」によって、「幸福がもたらされ、さらにそれが広がってゆく国」を意味することになる。
ここで、目をちょっと日本の外へ転じてみることにしよう。アメリカ、イギリス、中国などが「ことだまのさきわう国」とされたことが、一度でもあっただろうか。「否」であろう。確かに、イギリスは名だたる詩人を輩出していることで知られているが、それによって、イギリスという国が「ことだまのさきわう国」とされるようなことはなかったと思われる。
ただ、古英語の時代、「ケニング」(kenning)の名で知られていた婉曲語法のあったことは、よく知られている。ship(船)という語の代わりに、the whale’s path(くじらの道)という表現を用いるがごときである。アイスランド語などにもみられるものであるとされている。これは、要するに、特定の語を口にすることによって、わが身に振りかかってくると考えられていたいまわしい呪力を避けるための手だてであった。相手の名前を、直接口にすることをはばかる風習が、いわゆる未開社会において、広く行われていたこともよく知られている。ハリー・ポッターの世界では、その名を直接口にすることを許さない人物の存在が、重要な役割を果たしている。
問題は、したがって、「ことだま」が現代の市民社会においても、まだその命脈を保っているという点にある。事実、「ことだまのさきわう国」というのは「日本国」の美称にまでなっているのである。
そういう点を突き詰めてゆくと、神道を中核とする生活理念とか、生活空間ということに至りつくように思われる。それが、鉱脈の露頭よろしく、姿を見せるのが、「祝詞(のりと)」であろう。祝詞は、現在でも結婚式や地鎮祭の際における神事にまだ生きている。
2007年5月4日 掲載