「素朴な疑問に導かれて」

谷口一美(大阪教育大学准教授)

 思い返してみると、私にとって言語学のきっかけは、まだ「言語学」という学問の存在さえ知らなかった頃、英語の学習を通じての素朴な疑問だったように思います。

 たとえば中学校で “John looks happy.”(ジョンは幸せそうに見える)という構文を習った時のことです。動詞 “look” が使われているものの、主語のジョンは「見られている」側で、「見ている」のは実はこの文を話している人であることに気が付きました。能動文であるのに受け身のように「見られる」側が主語になっていることや、文の中に “I”という代名詞がないにも関わらず話し手の視線の存在が強く感じられることに、不思議さを覚えたものでした。

 また、高校生の時には、英語で感情を表す動詞に興味を持ちました。「驚く」「喜ぶ」「当惑する」など、日本語では自動詞ですが、英語では be surprised / pleased/ embarrassed と受け身形になります。つまり英語では、「驚かせる」(surprise) という他動詞形が基本であり、「驚く」という自動詞はなかなか見当たらないのです。このことがどうしても気に掛かり、受験勉強そっちのけで「感情を表す自動詞は英語にはないのか」と辞書で調べたことがありました(その結果、自動詞はあったとしてもごく少数で、他動詞からの派生でした)。こうしたコントラストを目の当たりにし、ひょっとすると英語を母語とする人は日本人と同じようには驚いていないのではないか、と思うようになりました。彼らは自身の内部に自発的に発生する感情として「驚いて」いるのではなく、外部の原因によって感情が動かされ、「驚かされて」いるのではないか、と。同じ人間として、同じ心理や感情を経験しているはずなのに、日英語ではその捉え方が異なっていて、それゆえ動詞の種類が異なるのかも知れないと思い、おもしろさを感じたのでした。

 こうした疑問や興味は、後にそのまま私の研究テーマとなり、あの当時から実に20年ほど経った今もなお探究を続けています。とは言え中高生の時から「将来この問題を追及したい」と強く志していたわけではありませんし、追及することが可能であるとも思っていませんでした。しかし、心の片隅にずっと残っていた疑問に導かれ、現在専門としている「認知言語学」という理論に出会ったような気がします。認知言語学は、言語の文法や意味を分析する上で、「出来事や状況を話し手がどのように捉えるか」が重要であると考えます。私が中高生時代に感じていた不思議もやはり「話し手の捉え方」に関わる問題であったため、この理論が答えの糸口を与えてくれたのです。

 「念じれば通じる」という言葉があります。言語学に限らず、日々の生活の中で好奇心を持ったこと、「なぜだろう」と心に引っ掛かったことは、大事に育てていきたいものです。たとえ今すぐに答えを出すのが不可能に思えても、心の中に抱き続けている何かが、おのずと進むべき道へと導いてくれるはずだと思います。

2009年1月30日 掲載