「私が言語研究を面白いと思い始めたころ」

今西典子(東京大学教授)

 1960年後半に地方都市でのんびりと高校生活を送っていたころ、ことばを分析的に考えることの面白さに触れ、ことばを科学的に研究する学問がアメリカで展開されていることを知る機会に恵まれました。1950年代末に東京教育大学で学び故郷にもどって国語を担当されていた担任のK先生は、源氏物語を読みながら古語文法を教えてくださる古典の時間に、尊敬語、謙譲語、丁寧語を体系的に理解できるようにと、これらの語が使われている文章で述べられている出来事の行為者と被行為者との間の親族関係や身分の上下関係と、出来事に対する話し手・聞き手の視点の相対的位置を文章ごとに黒板に図示して分析的に解説して下さいました。動詞や助動詞の活用表がたくさん載っている文語文法の教科書からはえられない新鮮さに感動したことを今でも鮮明に思い出されます。K先生は、尊敬語、謙譲語、丁寧語に対してなぜそのような記述を与えたほうがいいと考えるようになったかという契機についても話してくださいました。東京教育大学に在学中、伝統的な国文法についての講義だけでなく、英文科の人に混じって太田朗先生の講義に出席してその当時新言語学と呼ばれた構造主義言語学の見方に触れ、さらに、チョムスキーという人が提唱したばかりの生成文法について学び、ことばについて「なぜそうなのか」ということを体系的かつ明示的に説明できることが重要であることを学ばれたのだそうです。40年近く前に、Syntactic Structuresという洋書を店頭に置いているような本屋もない地方都市で、日本の古典を資料として新言語学の見方を高校生に教えてくださったK先生は、今もお元気で郷土が輩出した国語学者山田孝雄博士の資料館の責任者として文法理論とかかわりをもつ暮らしを続けていらっしゃいます。

 大学に進学して、3年生のおりにチョムスキーのSyntactic Structuresを読むことができ、さらにロバート・ロスの論文で考察されているI ate fish and Bill riceというような等位構造で動詞が省略される空所化現象に興味を持ち、卒業論文の研究テーマとしました。空所の前後の残存要素の可能性をどのように体系的に説明するのがいいのか思案しているときに、心理学を専攻していた友人に見せてもらったトーマス・ベバーの論文で提示されている知覚の方略という言語解析の原理が有望だと思い当たりました。卒業論文を出発点に、いろいろな省略現象についてなぜそのような特性がみられるのだろうという興味はずっと持続しています。

2007年4月27日 掲載