白川博之(広島大学教授)
ある日、みかんの果肉入りの缶ジュースを飲んでいたとき、何の気なしに缶の表示を見て、「えっ?」と思った。
みかんの粒が沈殿しますので、振りながらお飲みください。
振りながら飲めとは? 振りながらでは、果汁が缶から飛び散って、おちおち飲んではいられないではないか。
もちろん、そのあとすぐに、振りながらでも平穏に飲める方法に気づいた。振っては飲み、振っては飲みすれば良いだけの話である。「~ながら、~」は2つの動作の同時進行を表す、と思い込んではいけない。
また、こういうこともあった。新聞を読んでいたら、紙面の下のほうに、「郵便物の検査強化 サリン殺傷事件で」という見出しで、小さな記事がある。
郵政省は二十二日、地下鉄サリン殺傷事件に絡んで全国約二万四千の郵便局に対し、郵便物に毒物が入っているかどうかの検査を強化する通達を出した。(京都新聞1995.3.22夕刊)
えっ、毒物が入っていたら困るから検査するんだろ? 「入っていないかどうか」の検査ではないか?
こういう具合に、普通の人ならばスルーするような日本語に目が留まってしまうのが文法屋の悲しい性である。
ときには、自分自身の口から出た日本語にも聞き耳を立ててしまう。
(朝、身支度をしている。ひげを剃ったかどうか記憶が不確かなため妻に尋ねる。)「僕、ひげ、剃ってた?」
あれ、「剃ってた?」と言ったけど、なんだか他人事みたいだな。でも「剃った?」と聞くのも何かおかしいし…。
でも、これらは、一般の方にも、「へぇ、言われてみればそうだなあ」と思って頂ける問題ではないでしょうか。
日本人にとって、このような日本語の問題は、「路上ウォッチング」のようなものだ。マンホールの蓋にどんな絵が描いてあるか見て歩くのが楽しいのは、普段気にも留めずに通り過ぎている日常の風景の中に、よく見るとおもしろいものがあることを発見するからである。視界には入っていたが見てはいなかったものを改めて見てみることの楽しみである。
「知らないと恥をかく」かどうかはさておき、貴方も気楽で楽しい「日本語ウォッチング」から始めませんか。
2010年4月16日 掲載