大竹芳夫(新潟大学准教授)
日本語と英語の研究の醍醐味はズレにあります。はじめて英語と出会ったころ、「なす」が“eggplant”に、「お早う」が“Good morning.”になる発想の違いに驚きを覚えてワクワクしたものです。“eggplant”は卵のようなその形状に着目した名称であり、“Good morning.”は「獣に襲われずに無事に(獲物を捕って)どうぞよい午前中を」といった狩猟・遊牧民族の文化に根ざした挨拶であると言われています。同じモノや出来事を知覚しても、日本語と英語を通して心に映る世界がそれぞれに異なるところが不思議で、今なお興味が尽きることはありません。
さて、談話で頻繁に用いられる日本語に「の(だ)」があります。赤塚不二夫の『天才バカボン』で「バカボンのパパなのだ」、「これでいいのだ」のように「のだ」表現を多用するバカボンのパパは妙にウケます。また、普段の会話において「今日はどのピザを注文する?」<一緒に決めましょう>と「今日はどのピザを注文するの?」<教えてちょうだい>は文末に「の」があるかないかだけで< >に示すように意味合いが大きく異なることは日本語話者なら知っているでしょう。しかしその反面、興味深いことに、外国人日本語学習者にとってこの「の(だ)」の修得が思いのほか難しいようです。つまり、「の(だ)」に対応する外国語には構造や意味・機能のズレがあるのです。
実際に、英語を観察してみると「の(だ)」に対応する英語の構文がさまざまであることがわかります。
(1) a. “I’m sorry I broke the vase.” “{That / It}’s all right.”
b. 「花瓶を壊してしまって、すみません。」「いい{ですよ / んですよ}。」
(2) a. “I take it that you don’t care for the sun?” they enquired silkily.
b. 「あなたは日差しがお好きではないんですね?」と彼らはやさしく聞いた。
(3) a. “What is that noise?” “It’s Jimmy playing the piano.”
b. 「あの音はなんだろう?」「ジミーがピアノを弾いているんです。」
「の(だ)」に対応する英語の構文はひとつではありません。それは、「の(だ)」で表現されることがらが英語では違った風に切り取られるからであると考えられます。「の(だ)」に対応する構文は東西の諸言語に存在し、言語の壁を越えた比較対照は目下、国内外の研究者たちの関心を集める研究テーマとなっています。「の(だ)」の奥深さに惹かれて以来コツコツと積み重ねてきた英語との比較対照研究の成果を博士論文にまとめ上げ、このたび『「の(だ)」に対応する英語の構文』(くろしお出版)として上梓しました。ぜひお読みください。
私が住む新潟も、かつて滞在したボストンも、厳寒の冬を迎えます。しかし、雪国の春は美しいです。それは冬の厳しい風雪に自然が黙々と耐え抜いたからでしょう。私にとっての風雪、それは学問です。先の『天才バカボン』の台詞に加え、もう1人の「天才」が残した言葉を最後に記したいと思います。
(4) It’s not that I’m so smart; it’s just that I stay with problems longer.
(私はそれほど頭がよいのではありません。人より長くあきらめずに問題に取り組んでいるだけなのです。)
(アインシュタイン)
アインシュタインの言葉を胸に、学問の厳しさに耐えながら、言語の真、そして人間の真をこれからも究明し続けたいと考えています。
2010年3月19日 掲載