「漠然とした興味」が具体的になったとき

岡崎正男(茨城大学准教授)

 私が現在興味をもっている領域は、インターフェイス、変化、それに詩の形式という具合になる。具体的には、文の韻律・抑揚と文構造、意味、文脈、感情との関係、発音や語順の歴史変化、詩の韻律と文構造の関係や押韻の方法、などである。

 それらのテーマのうち、文の韻律・抑揚が興味の中心にあるが、興味を持った理由は何かと振り返ってみても、積極的な理由は思い出せない。理由があるとすれば、高校生の時に、授業やラジオ番組における英語の抑揚の記述や説明が個別的すぎると感じて、どのような一般性があるのか、と漠然と疑問を感じたことかも知れない。

 その漠然とした興味は、大学入学後、英語学の勉強を始めてからも頭の片隅から消えなかったようだ。1年生から専門科目を履修したが、文の韻律・抑揚が中心に扱われることはなく、文献を捜した。予備知識不足と理解不足のため、知りたい情報はなかなか得られなかった。ただ、『月刊言語』に載った今井邦彦先生の「発音の文法」と今井先生へのインタビュー記事(「言語学者との一時間」のコーナー)は印象に残った(いずれも1982年12月号)。とくに前者では、文の韻律・抑揚の研究が整理され、見解と見通しが述べられていた。自分の学問的興味の妥当性を確認できて、すこし救われた気がした。

 そうしているうちに、大学3年生になり、卒業論文を気にする時期になった。原口庄輔先生の授業の1学期のレポートで、英語の文アクセントの一事例について問題点を整理して提出した。さらに、中右実先生の授業の学年末のレポートで、内容自由とのことだったので、英語の文アクセントの先行研究を自分なりに交通整理し問題点を整理して提出した。いずれの場合も、レポートへのコメントに勇気づけられ、自分の学問的興味の相対的位置づけをおぼろげながら認識できた気がした。

 結局、その二つのレポートが卒業論文の土台になった。しかし、同じ学問的興味が博士論文までつながってゆくとは、当時はまったく予想していなかった。私は、自分が飽きっぽい性格の人間であると認識しており、まわりからもそう言われることがある。そのため、文の韻律・抑揚への興味が20年以上持続したことは、理由は不明だが、すぐ飽きることがなかった数少ない例外として、特筆に値することなのかもしれない。

2008年2月29日 掲載