三原健一(大阪外国語大学教授)
「言語学を勉強したい!」と友人たちに宣言して大学に入った私は、まあ、ヘンな高校生だったのだろう。おまけに、高校では理科系進学コースにいて、3年生の12月まで工学部志望だったのに、突然転向して担任の先生を慌てさせたのだから、益々ヘンな高校生だったことになりますね。いえ、転向したのは私なりの理由があって、吉本隆明の『言語にとって美とはなにか』という本で「言語学」という燦然と輝く言葉を見つけ、「これっ、これだ!」と思ってしまったのがそもそもの第一歩です。ちなみに、吉本隆明と言えば、今では吉本ばななの父親ということになるのかもしれませんが、私にとってはばななが隆明の娘です。これは絶対に譲れません。
でも、まあ、「その前」というのがあって、気恥ずかしいので小さな声で言いますが、実は詩を書いていたのです。詩を書くというのは結構しんどいことで、「ここに一つ言葉が欲しいが、ピッタリするのが出てこない!」ということになると、2~3日はうんうん言いながら苦しむことになります。ピッタリする言葉の基準は、私にとっては結び付きの美しさです。美しさと言っても、他の人が美しいと思うかどうかは別で、「馬頭観音と闇」は他の人も美しいと思うでしょうが、「便器と飛行船」はどうでしょうか。私は美しいと思いますが。
まあ、それはともあれ、私の専門は理論言語学という分野なのですが、私たちの仕事は、現象を捉え、そこから規則性を発見し、そして簡潔で美しい理論に昇華することです。美しくなければ理論とは言えません。まず、「急いでトイレに駆けた」という文を見たとしますね。あれっ、ちょっとヘンだな、「トイレに駆け込んだ」ならいいんだがなあと気づいたら、それが規則性の発見の第一歩です。「蹴る」と「蹴り入れる」、「走る」と「走り寄る」などのペアを思いついたらシメたもので、そこからアスペクトをキーワードとしての理論化が始まります。最初は全く関係がないと思っていた構文が、「あれっ、これもアスペクト絡みか」などと気づく瞬間、理論言語学をやっていて本当によかったと思います。言葉の美しさや規則性に興味がある人、あなたは理論言語学に向いています。
2006年12月22日 掲載