荻野綱男(日本大学教授)
私が言語研究と出会ったきっかけは、つまり柴田武先生との出会いであった。
私が東大の言語学科に進学した1973年に、柴田先生の方言学の授業があり、受講者全員が柴田先生と一緒に岩手県雫石町での方言調査に参加した。面接調査であり、もちろん私には初体験であった。その印象は強烈なもので、自分の知らない世界がここにあると感じた。
私が担当した一人目の話者は女子中学生であった。学部3年生の私にとって、若い女性と1対1で面接していくこと自体が非常に緊張をもたらすもので、私はきっとポーッとしていたのだろう。後日、そのときのテープを聴き直すと、簡単なアクセントを別の型に聞き間違えて自分で記録していたりして、汗顔の至りであった。
ある時は、高年層男性の調査で、自宅にうかがい、名前を確認してから調査を開始したのだが、調査の最後に名前を再度確認すると「オレ違うよ」という。よく聞くと、そばに住む別人だったが、たまたま用事でその家に来ていたのだった。せっかく東京から来た学生に、タダで帰ってもらうのは申し訳ないということで、最大のサービス精神で当該の人に成り代わって回答してくださったのであった。ありがたいお話であったが、その記入済み調査票は廃棄することになってしまった。
30年前の調査では、チッキという鉄道便で調査荷物(調査票やテープなど)を運ぶのが普通だった。雫石町で帰りの荷造りをした際、多数の学生を差し置いて、実は柴田先生が一番荷造り上手で、荷物に紐をかけるその手際の良さは実に印象深かった。フィールドワークの達人は、何でも自力でできる人だったのである。研究者は荷造りもできなければならない。いや、それだけでなく、生活や行動の全般にわたって、必要なら何でもしなければならないのであるが、それを身をもって教えてくださったのである。
後日、みんなが手分けして聞いてきた調査資料を言語地図にして整理してみると、各語形の分布に地域的なまとまりが出てくる。もちろん世代差も出てくる。それを総合すると、この地域の言語変化の一部が推定できる。たぶん、新しい発見をしたことに相当するのであろう。とても不思議でエキサイティングな体験であった。 こうして、フィールドワークのおもしろさを知ってしまうと、もう逃れられない。私は、言語研究の罠に絡め取られてしまった。その後、いろいろな調査を経験してきたが、雫石町での経験はそれらの原点である。
2006年6月9日 掲載